テレ朝で不謹慎狩りの特集を見て思ったこと(芸能人による被災者への寄付が非難された件)

不謹慎狩りとは、端的に言えばツイッターなどに投稿した呟きの内容について揚げ足取りを行なったもの。不謹慎狩り自体は以前からたくさんあるんだけど、今回話題になったのは、先日発生した熊本県地震での芸能人の行動について。たとえば、芸能人の紗栄子さんが500万円を寄付したことを振り込み書の写真を添えて投稿したことで、「振り込み書アップする必要ある?」「売名行為だ」と非難されたり、ダレノガレ明美さんが現地の人はネットが繋がらないから被災地情報を積極リツィートしたことに、リツィートだけでなく「自ら行動したら?」と非難され、トレンディーエンジェルがM-1優勝で副賞で貰ったカップラーメン10年分を被災地に寄付する手続きを進めていることに、「余りものよこすな」と非難された等があったらしい。
また最近はめっきり出てこなくなった井上晴美さんも熊本在住で住まい全壊と被災されてしまった訳だけど、その状況を呟いていたらこちらも「売名行為だ」と非難されたらしい。

番組では、東京や被災地での街頭インタビューなどを用いて、その呟きをすることを非難する報道がされていました。

正直、井上晴美さんのブログでの報告は特段文句言われることもないし、トレンディエンジェルがカップラーメンを寄付することに対する非難は、呟いた奴の単なる僻みなんだと思うし、ダレノガレ明美さんもテレビ映像(商品発表記者会見)で本件弁明している映像を見る限り、ちょっと使うことば間違っていたり、実情を理解できていない部分もありそうで???という部分もあるんだけど、まぁそこまでワーワー言わなくても・・・と思う。

ただ紗栄子さんの500万円寄付については、これはもうご本人の配慮が足りていないし、言われても仕方がないと言わざる得ない。誤解して欲しくないのは、寄付することは凄いこと。だって自分のためにならないことに500万寄付する訳ですよ。普通の人の平均年収が400万と言われている中で、1.2人分の金額を寄付する訳です。そりゃ凄いことですし賞賛されてしかるべきでもあります。

ただ、わざわざ振り込み書の画像アップする必要は無かったし、ぶっちゃけ金額も公表する必要はなかったと思う。せいぜい「寄付させていただきました」だけで良かったのだと思う。
(正直、言わなくてもよかったのではないか?とも思っている)

■賞賛されるべきが非難される背景

あの呟きを見た時、見る視点、立場によって評価印象はだいぶ変わります。被災地にいる人や熊本が出身地の方にとっては巨額の寄付に感謝されている方がほとんどだと思います。被災地と関係がない人でも寄付に対して立派と思う方も多いかと思いますが、ただ見方を変えると振り込み書の写真アップと金額を公表することに違和感を覚える方もいます。

写真アップは、寄付したという呟きに対して想定される突っ込みである「証拠見せろ」という一部の心無い人への対策かもしれません。金額については、ご本人としては本当に助けたいという想いがあり500万という巨額寄付されたのではないか。その上で自分が寄付したことを巨額の寄付を公表することで、ほかの人にも似たように寄付して欲しいと想ったのかもしれません。

ただ500万は、一般人なら大金です。でも、芸能人の場合、人気が出れば(一般人より)高額収入となり、(浪費しなければ)蓄財もしやすいです。一般的に人は生活水準を下げることはなかなかできないですし、常識的に自分の生活を困窮させてまで寄付する人はいませんから500万寄付しても、ぜいたくな生活が送り続けられるだけの蓄財を持っているということも読めてしまいます。

ご存じな方は多いと思いますが、日本の平均年収は年々下がっています。平均値は富裕層の年収に引っ張られので実態より高くなります。どこがボリュームゾーンなのかが判る中央値ではもっと下がります。実際雇用率は改善傾向とはいえ賃金は上がらず税、社会保障の負担は増えて自由に使える額は減りつつあります。実際日々の生活に追われネット見るのが唯一の楽しみなんて方もいらっしゃる訳です。二極化が進む中、そんな方々から見れば巨額寄付できるほどの生活水準への僻みなども出てくるでしょう。

特に紗栄子さんは人気芸能人のようなレギュラー番組に多数出演しているような方でもありませんから、今回の行動は突発的に見えて、話題作り、売名と思われやすいですし、現旦那さんは社長さんと裕福な状況ですので、諸々でネガティブに作用した可能性が高いです。(芸能人は一旦人気が陰り沈んでも、ちょっとした話題から再びブレイクすることもあり、それらを皆知っていますから連想しやすい)

たくさんの方に寄付して欲しいということであれば、別に金額等を出さなくても出来ることはあった訳ですから、やり方を間違えたなという気もします(ニュース見てもらうとわかりますが、ふるさと納税で熊本市に1億円近い寄付があったと報道されていますし、赤十字などももう少し時間が経つと金額を公表してくれます。”自分がいくら寄付した”ということを求めなければ、寄付金額をいくらになったかが判る方法は多数あるのです)

■どうすれば非難されないのか。

寄付という賞賛されることをしたにも関わらず、非難される・・・。理不尽に見えるかもしれませんが、そうなるならないにはポイントがあると思っています。ではどうすれば良かったのでしょうか?

直近の事例で行くと、今回の熊本大震災で、熊本出身のコロッケさんは、自ら被災地に出向き食事を振る舞ったそうです。ちなみにこれ特に非難されていません。そもそも知らない人も多かったかもしれません。また過去事例で行くと東日本大震災で話題にもなりましたが、人によって好き嫌いが激しい芸風を持つ江頭2:50さんは、震災後すぐさまトラック借り、トラックにたくさんの救援物資を積んで現地に向かい、被災地に物資を届けたら何もせず帰って行ったという話もありますが、その行動が賞賛されていたりします。これらの違いってなんなんでしょうか? 

表面的な共通点は、お金でなく現地に行ったですが、そこではなく自ら公表せずに淡々と行動をとったことだと思います。その行動を現地方々が見て感謝の念からの呟きがあったからこその評価に繋がってきたからだと思っています。

芸能人は芸で楽しませてお金をいただいている職種な訳ですが、芸含め自らをアピールし存在感を高める必要が求められます。故に本来は何か情報発信したり話題性を出すことが重要なんだと思いますが、震災などの状況においてはこのアピールが仕事に結びついているような雰囲気が垣間見れてしまうので、「売名行為だ」等の非難が出やすくなります。故に真逆の行動が求められたりします。(静かに行動すること)

実はこれ芸能人に限らず企業などでも同様なことが求められます。有名なのが自衛隊員の救援時には食料は自分たちで持参し決して被災地の食料は被災者のモノとして食べない。勧められても辞退されていますが、とある通信企業の被災地支援時にも同様な行動がとられています。(先日某テレビ局の方々はやっちゃって非難されていますが・・・・)

被災地は被災前までにあった物資が使えなくなるだけでなく、交通網・物流網が寸断され十分な物資が無い状態です。それらの復旧するためにはたくさんの人員も必要なので、その人たちが頑張るためにも食事等は当然必要です。ですが被災者だけでも不足している状態に支援者が加わってはさらに物資不足するだけで意味がありません。故に、必要な食糧や物資は持参しますし、支援先が供給不足気味等も考慮し、食べる時は見えないところで、さらに短時間で淡々と済むすなどが求められます。

羨ましがられるような状況を作らないようにすることで、疎まれる状況を作らないようにしている訳です。(自衛隊も国土を守るというお仕事をすることで国から給与を貰ってますし、通信会社だってサービス提供しお客様からお金貰うことで給与が支払われます。復旧に尽力してくれることに喜んでくださるとは思いますが、サービスとして対価をもらっている以上、やって当たり前的な側面もある訳です。完全な善意ではない)

今回の紗栄子さんが500万円を寄付も、寄付する行動は良いのですが、それをわざわざ公表する必要もなかったし、どうしても公表したいのであれば「寄付しました」等端的に言う程度で良かったのです。

■最後に

長々と書きましたが、非難されている事実だけ見れば、何をそこまで・・・と思いますが、背景まで考えていくと、そういわれても仕方ない側面があることも事実なのです。特に360度の視点からいろいろ評価されてしまう企業や芸能人などはそれこそ適切な対応をしないと自分の首を絞めかねないので注意が必要です。

余談:

極論かもしれませんが、今は極端な二極化が進みつつありますが、これがもし皆さん職種に関わらず収入変わらないぐらいの中産・裕福な階級なら、あまりワーワー言われなかったかもしれませんね。変な例えですが、仮にみんな裕福だったとして、とある家が連日、寿司や高級肉食べていてそれを自慢したとしても、別の家でも「うちも食べてるぞ」、別の家では「うちは肉より高級な魚だ」など、特段文句など言わず、逆に張り合うことができたのかもしれません。しかし明確な差があり、それを実現できない人にとっては、その自慢はだんだん嫌味に聞こえていくんだと思います。実際、昔だって貧富の差はありました。ただ今ほど極端ではなかったかもしれませんが・・・・。

そして、今はネットという顔が見えない形で人と繋がり、いろいろと言える時代です。昔のネットが無い時代でしたら、その自慢に対して頭の中で「また自慢かよ・・・。」とか思ったり、誰もいない時に「ちぇ、また自慢しやがって・・・」と言っていたことをネットで吐き出すことが出来るわけです。そしてその意見に共感する人も出てくる。その積み重ねが大きな力になることもあるのです。(その力が誰かを動かし、良くなる方向に進むことがある一方で、ネガティブな方向に作用してしまう場合もある。)

このあたりも踏まえた上で、適切な行動が求められるんだと思います。

いろいろ書きましたがここまで。